お母さん!喋りすぎですっ!
ごきげんよう、渡辺貴子です。
「お母さん、喋りすぎよ!」
これは、20年前幼稚園の園長先生(シスター)に私が言われた言葉です。
なかなか園に馴染めなかった長女が心配で心配で、毎日お迎えに行った帰り道、私は彼女に質問責めでした。
楽しかった?
先生の言うこと聞けた?
お友だちと仲良く遊べた?
お弁当はおいしかった?
今日はどんなことしたの?
そんな私に、園長先生が優しい微笑みとともにひと言。
「お母さん、喋りすぎよー。大丈夫だから。ママが笑顔でおかえりってお迎えしてくれたら、〇〇ちゃんそれだけで安心できるんだから。〇〇ちゃん自分からたくさんお話ししてくれるから。ママに教えたいことがたくさん出てくるから。ちょっと、お口にチャックしなさいな。もっとニッコリ楽しみなさいな。」
わかっちゃいるけど、心配なのよ。
黙ってたら教えてもらえないじゃない。
私は、当時そう思っていました。
私のお喋りは止まらなかった。
けれど園長先生のその言葉と微笑み、はなぜか私の心にずっと残っていました。
素敵なシスターだったなぁ…。
先日、カフェでひとを待つ時間を過ごしました。
そこへ2人の女性客の高いトーンの声のマシンガントークが聞こえてきて。
子どもの話、パートナーの話、学校の話。
生活態度、部活、受験、両親、義両親。
止まらない、止まらない。
自分の話は一切なし。
大切な家族についての話ばかり。
ママたちの言葉には、いろんな想いがのっていた。
ママたちの思い。
激しい言葉の奥にあるもの。
その声の響きの奥にあるもの。
想いが口から溢れ出る
ある日突然、子どもが…。
不登校に。
拒食症に。
自分のことは後回しで 、一所懸命に必死に子育てに全力だった。
それなのになぜ????
愛ゆえに、ママと子どもとのあいだに生まれてしまった苦しみ。
その苦しみがあまりにも大きすぎて、私たちは戸惑います。
いろいろと試みてはみるものの、親子の溝は埋まるどころか深まるばかり。
自分の無力さを感じて、さらに己を責めることも…。
わが子がいっけん穏やかに見えたとしても、何かの拍子に豹変するから…、そこには安心もなくて。
いつもハラハラしている。
一緒に生活していながら、お互いに苦しめあっているような、そんな毎日のなかで、私たち母親にできることってなんだろう。
愛ゆえに心配で、愛ゆえに正したい。
愛ゆえに助けたいし、教えたい。
なぜなのか、理由が知りたい。
何を考えているのか、知りたい。
そして、気がつくと、喋りがとまらない私たち。
想いは口から溢れでて、言葉が止まらない。
どうしてなの?
なぜなの?
質問が止まらない。
もしも、今、子どもとの関係が上手くいってないと感じるのなら、意識してみて欲しいと思います。
自分が喋りすぎていることに。
そして気づいてみてほしいのです。
私たちの日々のひとことひとことが、愛する子どものなかに苦しみのカタマリを置いているかもしれないことに。
愛ゆえに、そうなってしまっていることに。
子どもに教えてもらおう〜話を聴こう
そんなとき、私たちにできることはなんだろう。
苦しみは、誰かに聴いてもらえるまで癒えることはありません。
子どもたちにとって、その「誰か」とは、お母さんです。
お母さんこそ、その「誰か」なんです。
だからね、
今、この瞬間に存在して、心を込めて子どもの話を聴こう。
聴いている間は何も話さず、
ゆっくりと呼吸をしながら、愛する人の話を聴こう。
子どもがもしも話し始めたら、
「それが話を聴く合図だ!」と意識して、
本当に聴くように努めよう。
お母さんが本当に聞いてくれることがわかれば、子どもはもっと話をするようになるでしょう。
お母さんに今まで言えなかった、深い想いが子どもの内側から溢れてくるかもしれません。
そしてそれらを、愛をもって深く聴こう。
言い訳したくなるかもしれない。
「いやいやそれは…」と誤解を解きたくなるかもしれない。
正したくなるかもしれない。
子どもが教えてくれているんです。
嬉しいじゃないですか。
ありがたいじゃないですか。
「ふざけたこと言わないで!」「なんでやねん!」って思うこともあるかもしれないし、耳の痛いこともあるかもしれない。
そんなことばかりかも(私がそうでした…苦笑)
けれど、聞かせてもらうんです。
吐き出してもらうんです。
子どもの話すその内容に一喜一憂するのではなく、お母さんにわかってほしかった子どもの思いや背景を受け取るイメージで。
子どもは、言葉で上手に表現できません。
一所懸命に生きている、彼らの声を聴くのです。
深く聴いてもらえるその時間は、彼らにとってかけがえのない大切な時間になります。
そして、それは、私たち母親にとっても尊い時間になります。
たくさんの学びがつまっているはずです。
積み重ねた時間は、大切な大切な宝物になります。
いま振り返ると、本当に愛おしい時間です。
じゃあ、母親である私たちの苦しみは?
私たちの思いは?
あなたの苦しみや思いを、あれこれと裁くのでも正すのでもジャッジするのでもなく、愛をもって聴いてくれるひとに、話してみて欲しいのです。
カウンセラーは、そのためにも存在しているのです。