揺れ動く心との付き合い方
ごきげんよう、渡辺貴子です。
子どもが病気や不登校にならなければ、気づくことのできなかったことが山のようにあります。
実践を繰り返し、そこから気づきがあり、実践し、いまに至ります。
ツラい時間だったけれど
振り返ると愛しさあふれる時間です。
それらは愛と感謝の道のりだったと、今、思うことができます。
子たちに寄り添うのが疲れちゃったり、
いつまで続くの?ってしんどくなることがあると思います。
その連続ですよね。
私もそうだった。
もう、2度と味わいたくはないと思うほど、壮絶でした。
けれども、やっぱり感謝の道のりなんです。
乗り越えても生きてる限り、子どもたちにも私たちにも、ストレスや試練、悩みはやってきます。
それを上手に受け取り、幸せに乗り越えていけるのは、
やっぱりあの頃があったからだと思うのです。
神よ、変えることのできるものについて、
それを変えるための勇気を私にください
変えることのできないものについては、
それを受け容れるだけの冷静さを私にください
そして、
変えることのできるものと、
変えることのできないものとを
識別する叡智を私にください
『静穏の祈り』ラインホルド・ニーバー
これはアメリカの神学者の有名な詩の一部です。
長女の拒食症を乗り越え、次女が不登校真っ盛りの頃、
私はこの詩と出会いました。
『親業』(トマス・ゴードン著)を読んだとき。
まさに、生きる道標の言葉だと感じました。
それから10年近くになります。
この詩はアルコール依存症克服のためのプログラムや、ギャンブル依存や薬物依存症や神経症の克服を支援するプログラムにおいても用いられているそうです。
最新の認知行動療法のACTの書籍にも、引用されています。
『置かれた場所で咲きなさい』(渡辺和子著)にも引用されていたし、
ベストセラーにもなった、アドラー心理学の『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)にも引用されてた。
あの頃の私の胸に響くわけだ…
多くの人々の心に残るわけだ…
長女が拒食症、次いで次女が不登校になり10数年。
私自身、さまざまな心のトレーニングを積み重ねてきました。
そして、分かったこと。
揺れ動く心を、その心でどうにかしようなんて無理。
どうにかなるなら、そもそもそこまで悩まないんだから…。
海で溺れかけたとき、私たちは足掻けば足掻くほどさらに溺れます。
それでもパニックになって、沈まぬように必死で足掻きます。
果たしてそれで、浮きあがれるのか…。
答えは明白。
私たちは悩む。
最初は一点のシミのようなちょっとした苦痛かも知れない。
(そのシミのようなものでさえ、お化けのように見えることもある)
連想ゲームのように、小さな苦痛が新たな苦痛を呼び、苦しみに変わり、いつのまにか巨大な苦悩という化け物に成長するのだ。
心に任せたまま「えいっ!」とそのお悩みを消すことはできないのだ。
変えられないものを、変えることはできないのだ。
じゃあ、どうするの?
変えようとするのではなく、受け容れる。
空気を吸い込み、仰向けになって身体を海に預ければ、積極的に水に身体を預けさえできれば、私たちは溺れることはない。
イメージとしては…
私の心が怒りを感じている。
私の心がイライラを感じている。
私の心が「もうダメだ」と言っている。
「心さん、ありがとう!」
ってできたら最高!
そのうえで
「心さん、怒りをとおして私に何を教えてくれているの?」
「このイライラが教えてくれてるのは何?」
優しい感じで、心に問いかける。
↑
こんなことをやるといいんです。
プカプカと海に漂うイメージで。
もがいてないでしょ?
足掻いてないでしょ?
でもでもでも!
そんなことわかっていたって。
そうは言っても!
やっぱり辛いのです。
どういたらいいの?
どうすればいいの?
こんな状態、いつまで続くの?
心は、焦りや不安でいっぱいになるのです。
だって、人間だもの…。
だからね、
呼吸しよう
息を吸い、息を吐く
息を吸い、吸う息に気づく
息を吐き、吐く息に気づく
ゆっくりとゆっくりと
ゆっくりのペースで、息を吸い息を吐く
息を吸い、痛みに満ちた感覚を認める
息を吐き、痛みに満ちた感覚を抱き締める
・
・
この先もあります。
最終的には、
呼吸とともに心を幸せで満たすところまでやっていきます。
呼吸するだけでも、楽になります。
そう思うんだね。
そう感じるんだね。
そうか、そうか、そうなんだね。
呼吸とともに、その感覚を感じてハグしていく。
私はいま
そんな状況にあります。
いつでも元気いっぱい、ランランラン!って訳にはいかなくて、
生きてればやっぱりいろんな試練があるわけで。
私もいま、実はその真っ只中…。
ツラいー。
心のトレーニングをして良かったと思うことがあります。
・大切なひとに、感情を垂れ流さなくなれたこと
・変えられないものにたいして、過度にジタバタしなくなったこと
・俯瞰して捉えることができるようなったことで、変えられるものと変えれられないものを区別できるようになったこと
・「そうは言っても…!」という心の叫びすら、受け容れることができるようになったこと
・ゆれ動く心をもつ人間が、愛しいと思えるようになったこと
↑
それでも
やっぱりつい忘れたり、そうではないところに自分の心がさまよっていることに気づきます。
しょっちゅうです。
そして気づいたら、その時がトレーニングのとき。
垂れ流すのではなく
自分を責めるのではなく
周りを責めるのでもなく
我慢するのでもなく
追及するのでもないく
闘うのでも逃げるのでも固まるのでもなく
変えていく勇気をもって、行動していくのです。
私もいま、そんな時にいます。
変えられないものを受け容れる心の静けさと
変えられるものを変える勇気と
その両者を見分ける叡智を我に与えたまえ
だれもが人生ビギナー。
素晴らしき学びの連続です。
ありがたい。