ベッタリとひっつく?突き放す?距離感のとり方が不器用なママ
ごきげんよう、渡辺貴子です。
冬休みが始まりました。
学校とのやりとりから解放され、少し楽に感じるママさんも、兄弟姉妹が同じ空間にいて緊張を感じるママさんもいらっしゃるかもしれません。
もしかしたら、家族の調和が気になるかたも…。
私は、この「調和」というものに苦しみました。
楽になる側面もあれば、悩みの種が増えたように感じる側面もある。
いずれにせよ、家族・子どもとの距離感を上手にとることは、私にとってテーマでした。
特に、夏休みや冬休みなどは、そのテーマが露呈されていたように感じます。
皆さんは、いかがですか?
子どもとの程よい距離感がわからない
ヤマアラシのお話をご存知ですか?
寒さに震える二匹のヤマアラシがいました。
二匹はお互いの温もりで温め合おうとします。
しかし、近づきすぎると
それぞれの針でお互いを
「グサっ」と相手を傷つけてしまうのです。
だから…
二匹は離れます。
だけど、、、
離れると、やっぱり寒いのです。
近づきすぎると針でお互いを傷つける。
離れると寒い。
近づきたくても、近づけない…
そして二匹は近づいたり離れたりを繰り返し
お互いの針で相手を傷つけることなく
そして温もりも感じられる距離を見つけていきます。
『ヤマアラシのジレンマ』
哲学者ショーペンハウエルの寓話をもとにフロイトが考えたたとえ話です
不登校や、拒食症、反抗期と言われるような時
親との一体感から子どもが自立をしようとする時
日々の子育ての中で起きている私たちの葛藤は、まさにこの「ヤマアラシのジレンマ」の中で繰り広げられているものとリンクするのでは…と感じます。
そして、お互いに針が刺さって傷つけあい、心から血をながし、そして離れてみれば、気になって心配になって、寂しくなる、不安になる。
繰り返すうちに、いつしか心地よい距離感を測れるようになる。
愛という名のもとに、しがみつく、つきはなす
そしてね、こんなこともあると思うんです。
私の話です。
子どもが、怖れや不安、焦りを感じて苦しんでいるとき…
私と娘、お互いに針が刺さって痛くて痛くてたまらないのに離れることができず、血を流しながら、子どもに覆いかぶさっていたな…って。
子どものことが心配で心配でたまらなかった。
娘たちは痛くて痛くて逃げ出したかったのに、愛という名のもとに覆いかぶさってくるママがあまりにも重たくて動けなかっただろうな…って。
娘たちがやっとの思いで、私から逃れて振り返ってみるとママが寒くてオロオロと震えてたな…って。
また、時には私のほうが娘たちから離れてみると、やっぱり寒くて心細くて心配になったり、逃げたことへの罪悪感なんか感じてたな…って
子どもと母親との一体感は、子どもが愛に満たされて育つうえで何よりも大切なこと。
しかし、成長するにつれて子どもの針が少しずつ、しっかりと伸びていくのだとしたら、親は自分の針の長さや強度を知るとともに、子どもの針についてもシッカリと観察し、感じ取ることって大切なんじゃないかなと思います。
そして、自分が思っている以上に自分の針が強く鋭いことに気づくことも。
愛ゆえに、時には血を流してでも覆いかぶさろうする時があるかもしれない。
だからこそ、そんな時には、針が刺さる痛みに気づくこと。
子どもが血を流しながらも、笑顔でいてくれようとしていることに気づくこと。
痛くて痛くてたまらなくても、ママからの愛を受け取ろうと必死になっていることに気づくこと。
まず、
気づくことがとても大切です。
針の刺さらない、けれど
愛の温もりを感じられる距離を取ることもできる。
気づけなければ、できませんもの。
そんな距離感、素敵じゃないですか?
心理的にべったりとひっついてなくても
愛を伝えることができるんだということを
体感できたらいいなと思います。
私たちの愛ある眼差しで
私たちの愛ある温もりある言葉で
私たちの理解と思いやりに満ちた在り方で。
子どもに愛を伝え、見守ることが
私たちにはできるんです。