娘が拒食症になりました⑤大好きな祖父の死と拒食症の足音 | 『公認心理師』渡辺貴子トレーナー

娘が拒食症になりました⑤大好きな祖父の死と拒食症の足音

おじいちゃんが死んじゃった

小学校4年生、新天地での夏休み。

新しい土地で暮らす準備を整え、長女と次女は二人で新幹線に乗って祖父母の家(私の実家)に。

娘たちは、祖父母が大好きでした。

長期の休みの際はいつも2〜3週間は滞在していました。

リゾート地に居を構えていたので、毎日がプール、海、虫とり、レジャー三昧。

父は嬉々として子どもたちをもてなしてくれていました。

それは、私の知らない父の一面です。

この夏も娘たちは例年と同様楽しく過ごし、最後の数日に私と主人が迎えに行くパターン。

そして涙涙のお別れをして自宅に戻ってきました。

自宅に戻った3日後の明け方に、の母から電話がありました。

「貴ちゃん、パパが死んじゃった」

あまりにも突然で、一瞬、理解ができませんでした。

そして、状況が理解できたとき、私は娘たちの寝顔を見ながら

「子どもたちに何と伝えようか、どのように伝えようか」

それをものすごい勢いで考えました。

娘たちを起こし、寝ぼけ眼の娘たちに向かって私から出てきたのは無機質な声と言葉でした。

「おじいちゃんが、死んじゃったんだって」

悲しむ長女に寄り添えない…

3日前には元気だったおじいちゃんが突然亡くなったことなど、娘たちには受け入れがたかったと思います。

そんな娘たちに伝える私の心は、とても冷めていました。

娘たちはおじいちゃんが大好きだった。

私は父の死を悼めないほどに、大嫌いだった。

そんな私の気持ちを、多感な年頃の長女には知られたくなかった。

父の死を悲しめない私は、娘たちにどう伝え、悲しむ娘たちにどう寄り添えばいいのかわからなくなっていました。

夫が仕事から帰宅するのを待ち、再び実家にとんぼ返りしました。

実家まで車で7時間ほど。

その間、長女はずっと泣きっぱなし。

そんな長女に驚くほど冷静に接する自分を

「ああ私は冷淡な人間だな」

と、さらに冷静に分析したりしていました。

泣きじゃくり、泣き叫び、いつまでも悲嘆に暮れる長女に対して、徐々に苛立ちが抑えられなくなりました。

娘の悲しみに寄り添えない。

 

「おじいちゃんが死んじゃったのに、ママは平気な顔をしている」

と、悟られたくないと思いながら、それでもそれを隠しきれない自分の想いに私は動揺しました。

欠かさず続いた長女の「祈り」

娘たちにとって、これが人との初めての別れの体験でした。

葬儀を終え、帰ってきてからも長女はしばらくの間ずっと泣いていまいた。

父の写真を肌身離さず持ち歩き、寝る時には枕の下にいれ、朝と晩にお祈りをしていました。

我が家はキリスト教でもなければ、敬虔な仏教徒でもありません。

が、彼女はお祈りを1年以上かかさずに続けていました。

 

「わたしたちを見守っていてください。

おばあちゃまをずっとずっと見守り助けてください。

おじいちゃんとおばあちゃん(主人の方)がいつまでも元気でいるように守ってください。

世界が平和であるように力をください。

世界中のみんなが幸せであるように、助けてください。

ずっと、わたしのそばにいてください」

このようなことを毎朝、毎晩1年以上続けていました。

新しい土地でのスタートは、大好きだったおじいちゃんとの別れから始まりました。

そして「長女が拒食症になりました④」にあるように、彼女は別人級に頑張るようになっていきました。

けれど、そんな彼女の大躍進にも限界がやってきます。

限界が近づく

小4、小5と、別人級の大躍進の長女に少しずつ翳りが見え始めます。

5年生の後半になるにつれて、家でイライラすることが増えてきました。

妹への当たりが強くなってきたのです。

「あんたなんか、いなくなればいいっ!」

姉妹喧嘩の最後には、そんな言葉がよく出るようになっていました。

そのつど私は嗜めていました。

「この世でたった一人のきょうだいなんだよ。ママやパパが死んじゃったらあなたと血が繋がってるのは妹だけになるんだよ。そんな悲しいこと言わないで!」

子こどものころ、私が兄と喧嘩をするたびに母に口すっぱく言われていたことと同じことを言っていました。

彼女の苛立ちも、彼女が何を感じてどう思っているのかも、喧嘩の背景も、何も見ることも聞くこともせず、私は娘にきつく叱っていました。

そして、その頃、娘が少し痩せていることに気づきました。

気づいたけれど、そのことについて私は娘に何も言いませんでした。

顔色がちょっと悪いな。

元気があまりないな。

ダイエットしてるのかな。

年頃だし、それくらいするよね。

そのうち、やめるよね。

ツンツンしているのも、反抗期がはじまったのかな。

「女の子にはそんな時期もあるだろう」

私はそれ以上深く考えることはありませんでした。

ある日の夜。

娘がシクシクと泣いていました。

体力が、続かないの。

自然観察で川に行ったんだけど、歩くのがしんどかったの。

みんなに追いつくのがやっとだったの。

 

そんな娘に私はこう答えました。

ほらあ、しっかり食べないからじゃないの?

ちゃんと食べて、ちゃんと寝たらいいのでは?

あなたは元々インドア派だから、体力つけるためにちょっと運動しようか?

よし、明日は自転車で遠出しよう!

運動したらお腹も減って、しっかり食べられるよ!

何かがおかしい…

これは、おかしい。

なにかが、おかしい。

やっぱり、おかしい。

鈍感な私がそう思ったのは、2011年3月11日でした。

そうです。

あの、東日本大震災がおきた日です。

私たちが住んでいたのは北陸地方だったので、ニュースで震災を知りました。

度重なるニュース。

被害の様子が次々とテレビから流れてくる。

テレビに釘付けになっていた私に、娘が表情ひとつ変えずに淡々とひと言。

「ねえ。今日、晩ごはん何にするの?何を作るつもりでいるの?何時にごはんにするつもりなの?」

そう言ったのです。

あれ?この子、こんな顔してたっけ?

こんな声で喋る子だったっけ?

我が子でありながら、背筋がゾクっとした感覚を今でも覚えています。

なにか、おかしい。

やっぱり、おかしい。

得体の知れない怖しさ、そして胸騒ぎを私は感じました。