娘が拒食症になりました⑧暗黙のルール | 『公認心理師』渡辺貴子トレーナー

娘が拒食症になりました⑧暗黙のルール

夫の反応を気にする私、娘の気持ちを聞けない私

4月に長女が拒食症にだとわかり、どうしたらいいのかわからないまま、ゴールデンウィークになりました。

私たち家族は、それまで休日を常に一緒に過ごしていました。

まるでそれは、鉄の掟のようでした。

公園、旅行、キャンプ、釣り、ショッピング、通常のスーパーのお買い物まで家族全員で繰り出すのです。

夫が絵に描いたような、マイホームパパだったのです。

娘が拒食症になってからも、有無を言わせぬ勢いで外に連れ出していたように思います。

「きっと娘は行きたくないだろうな」と私は感じていましたが、娘にそれを言わせませんでした。

私は怖かったんです。

主人の想いを断ることが。

パパがせっかく家族のために休日の時間を使ってくれているのに、それを断わるなんて申し訳なくてできない…そう思っていたのです。

だから心のどこかで

「娘は本当はどうしたいんだろう?」

と思いながらも、聴くことを避けていました。

 

「あなたは、本当はどうしたい?どうやってすごしたい?」

「何を選んでもいいんだよ」

そんなふうに娘に聞くことが、当時の私にはできませんでした。

もしも、本当のことを言われたら、私が困ったんでしょうね。

夫と私の関係性のひずみが、こういう形にも表れていたのだと思います。

そこを隠して(無意識です)、娘を誘導していたんだな…と今ならわかります。

無理やり連れて行った家族旅行

GWの前半は旅行、後半はキャンプ。

合間に、釣りや公園。

娘は、疲れだろうな。辛かっただろうな。

「本当は、行きたくなかった…」のちに、そう教えてくれました。

キャンプでBBQしたら、いっぱい食べてくれるんじゃないだろうか。

旅行先なら、気分も変わって食べれるんじゃないだろうか。

結局、場所が変わっても娘が積極的に食べることはありませんでした。

楽しいはずのキャンプも、なんとなくピリピリと重苦しく暗い雰囲気。

旅先のランチも彼女はずっと機嫌が悪く、結局一口二口で残してしまい私と口論になりました。

「せっかく旅行に来てるんだから、一緒に行動している家族のことも考えなさい」

「あなたが楽しい雰囲気こわしちゃってるの、気づいてる?」

そんな言葉を私は娘に投げつけていました。

娘は「ごめんなさい…」と泣いていました。

小3の次女には状況を伝えていませんでしたが、お姉ちゃんやママの様子がおかしいと、気づき始めていたと思います。

夫は、娘の様子や医師の説明などを私から聞いても、何も言いません。

母親として責められることもなければ、解決に向けて何か意見をくれるわけでもない。

夫のその態度を、私は無関心と受け取りとても寂しさを感じました。

子どもが拒食症になっても、妻がそれで悩んでいても、これまで通り明るい家族を演じ続ける。

GWの過ごし方が、我が家の空気感を象徴していたように思います。

私は、そんな違和感すら言葉にできない、何も言えない妻でありお母さんでした。

減り続ける体重


「GW中に、少しでも体重を増やそうね」と娘は医師と約束をしていたのですが、減ってしまいました。

「25kgになったら入院だからね」

入院は絶対に嫌だ!

病院で太らされるのも嫌だし、ママと離れるのなんて、絶対に嫌だ!

だったら、食べればいいのに!

食べれば全てが解決するのに!

その頃の私は、どうやったら彼女が食べる気になるのか?

あれこれと提案やアドバイスに必死でした。

食事の前後になると人格が変わったようになるので、彼女の落ち着いている時間帯を狙って、私は説得や提案を繰り返していました。

せっかく彼女が落ち着いて穏やかでいるときに、私は彼女にとってつらい話をわざわざしていたんだな…と後に反省しました。

ですから、娘は心が休まる時はなかっただろうな…と思います。

 

体重は落ち、体力も落ち、ランドセルを背負って学校へ通うのもだんだんとつらくなっていきました。

6月になり、7月になり、暑くなってきたのに彼女は寒くてたまらず、衣替えを過ぎても彼女は長袖ブラウスの上にセーターとブレザーを着ていました。

6月頃までカイロも貼っていました。

そして25kgを下回り、医師の最終警告24kgになったとき1回目の入院が決まりました。

医師との信頼関係をもてないままの入院で、私の不安は最高潮でした。

でも、どうすることもできない。。。そんな気持ちでした。

そのときの気持ちを私は夫に伝えただろうか?

今、振り返っても全く覚えていないのです。

その頃は、相談する人もいないなかで、すべて一人で抱えていました。

私は長女のことしか考えられなくなっていました。

ただただ、怖くてたまりませんでした。

長女はもっと、怖かったと思います。

 

そして、当時8歳の次女の寂しさは想像を絶するものだったと思います。