長女の拒食症克服♯9小手先のコミュニケーションでは通じない | 『公認心理師』渡辺貴子トレーナー

長女の拒食症克服♯9小手先のコミュニケーションでは通じない

大学病院の児童精神科に週1で通うことになり、病院という命の拠り所ができたと思い、私は安心しました。

前の病院で傷ついた彼女の心に配慮してくださる医師でした。

娘の体重は22kgを下回っていましたが

「◯kgになったら入院だよ」

などという、お話も医師からはいっさいありませんでした。

そういった対応に安心しつつ、一方では、

このままいけば再入院までそう時間はかからないだろうと、私は焦っていました。

「もう一度入院なんてしたら娘の心が完全に壊れてしまう」

毎日のふとした瞬間に、私の心は恐怖に飲み込まれてしまいます。

身体の限界が先か、心の回復が先か。

身体の限界がくるまえに、なんとしても娘の心の病を回復にもっていきたい!その想いでいっぱいでした。

「また入院するくらいなら、死んだ方がまし」

「ずっと、お家にいさせてね」

娘から、そう言われるたびに心の中で

「だったら、食べてよ…」

そう思っていました。

食べれば治る

それが幻想であることはすでに十分に頭ではわかっていても、それでもそう思ってしまうのです。

入院がいやなら、食べるしかないでしょ!

どうして、それができないの?

口では

「〇〇ちゃんの好きにしたらいいんだよ。

食べても食べなくてもいいんだよ。

あなたが決めていいんだよ」

そんなことを言っていても、心の中では

「食べなさい!!!お願い食べて!

命がかかってるのよ!」

そう思っていました。

そして、その想いは

私の全身から滲み出ていたのだと、思います。

言葉と態度がバラバラだった

子どもにとって一番やりにくい親とは、

優しい言葉で話し「自由」にさせ、

受容しているように行動してあれこれ要求しないくせに、本当は受容していないことを微かに伝える親である。

byトマス・ゴードン『親業』より

見守ろう

受容しよう

肯定しよう

話を聴こう

それを意識すればするほど、私の中で反発が起きます。

本当にそうだろうか?

本当に?本当に見守るだけでいいの?

本当に?本当に受容しちゃっていいの?

本当に?本当に、それ肯定していいの?

本当に?話し聴くより、聞かせるべきじゃない?

私の心の中で反発が起きているうちは娘の「食」に肯定的な変化は起きませんでした。

私の心の声が漏れ出ていたのだと思います。

その溢れ出ている心のメッセージの方を、娘は受け取っていたのだと、今ならわかります。

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人間は一般に、言葉以上に圧倒的に非言語(態度や表情、声のトーンなど)からの情報に影響を受けるそうです。

「怒ってないよ!」ってきつい口調で言われれば

「ああ、怒ってるんだな」って受け取るし

「楽しみにしてたよ」って暗い表情で言われれば

「本当は嫌だったのかな?」って受け取ります。

私は、非言語でずっとずっと

心配のメッセージ

あなたを信じてないよっていうメッセージ

いうこと聞きなさいっていうメッセージ

そんなメッセージを送ってたんだなーと思います。

口では娘を受容しているようなことを頑張って表現しているので、まさか自分が正反対のメッセージを娘に送っているなど、気づけません。

自分の言葉と態度の矛盾になど、なかなか気づけませんでした。

だから、こんなに受容して肯定して、話を聞いてあげているのになぜ、良くなっていかないの?

本当は、全然受容なんてしていなかった。

しかも、聞いて「あげてる」のになぜ?という上から目線のコントロール的な思考。

それが、娘にバレていた。

それでも、やり続けることに価値はあるものです。

ただ、それだけをやり続けるのではなく並行して自分と向き合いました。

日々、自分自身を肯定していくこと

自分の心を受容していくこと

自分の心が何を感じても、それを無条件に認めること

自分をねぎらうこと

受容するとはどういうことか

肯定するとはどういうことか

ありのままに、無条件にOKとはどういうことか

自分自身で体感していくことは

言葉と態度(心)をともなって娘に伝えていくのにとても役立ちました。

というか、これは必須だと感じます。

素晴らしいアフリカの景色を映像で見ただけではその素晴らしさを真に相手に伝えることができないように、自分が体験して初めて真に相手に伝えることができる。

コミュニケーションは、日々の積み重ねです。

自分とのコミュニケーション。

娘とのコミュニケーション。

一つ一つが実践で、一つ一つが失敗であり学びです。

不器用だった私は、たくさんの学びができたのだと思います。

そうやって少しずつ

私の娘への関わり方が変わっていきました。

すると、娘の言動も少しずつ変化していったのです。