長女の拒食症克服記録♯11拒食症の心を快で満たすために
消えた笑顔を取り戻せ!
娘はよく笑う子でした。
お笑い番組が大好きで、「エンタの神様」とかが全盛期でゲラゲラ笑ってました。
お友だちといるときもモノマネとかしてね、ホント、ゲラ子な明るい子でした。
拒食症とわかる前
「なんか、最近笑わなくなったかな?あれ?お笑い番組もつけてても見てない?ジョークも言わなくなった?」
漠然と、ぼやーっと思ったことはありましたが、きっと反抗期!のひとことで片付けてしまっていました。
のちに、過去の写真を見たときに「あれ?笑ってる顔が一枚もない!」「暗い表情ばっかりやん」ってことにも気づき、「自分は娘の何を見ていたのだろう…」と母親として情けなさを感じました。
拒食症になり、完全に笑顔が消失しました。
「昆虫みたいな顔になっちゃったね」
無表情になった娘の顔を見た夫が
そう言ったのです。
忘れらない言葉。
あの頃の娘と夫の言葉をセットで思い出すと
今でも胸が苦しくなります。
そんな娘が、ほんの少し笑ったんです。
そんな娘が、ほんのちょっと笑顔になったんです。
お笑い番組なんかじゃない。
ジョークなんかじゃない。
押しつけのお楽しみイベントじゃない。
娘が、心からやりたい!と思うこと。
笑顔になれること。
楽しいこと。
心が喜ぶこと。
1日の中でその時間の割合を増やしていくこと。
その積み重ねが、大事なんじゃない?
そのとき私は、そう思ったんです。
分からなければ、本人に聞けばいい
〇〇ちゃん。
どんなときが、いちばん楽しい?
もしよかったら、ママに教えて?
バラを注文し、そのバラを育てることをイメージしただけで「ワクワクするね」と笑顔になった。
届いた苗には蕾がついていて。
それが咲くのが楽しみで。
大きな鉢に植え替えて丁寧に水やりして。
花が咲いて大喜び。
そのつど、喜びを分かち合いました。
ママが一緒に喜んでくれる。
楽しんでくれる。
すると、娘の方から教えてくれるんです。
あのね、もっとこういうことができたらいいな。
こういうことも、したいな。
そんなことをできたら、楽しそう!
ママも一緒に楽しんで欲しい!
おー、すごいっ!
それできたら最高だねー。
大丈夫だよ、やってみようよ。
ママも一緒にやるよー。
ほかには?
どんなことができたら〇〇ちゃんワクワクする?
もし、なんでもできるとしたら、どんなことしたい?
ママに教えてほしいなー。
あなた、こうでしょ?ああでしょ?
ママ知ってるわよ。
ではなく、
あなたの中にあるその想いを、どうぞ私に教えてください。
染みついた上から目線の関わりを捨て、常に、一人格として対等に。
喜びに繋がる時間を増やしていく
人は喜びと怒りを同時に味わうことはできません。
ワクワクしながら悲しむことはできません。
楽しいことをしているときに、邪魔が入ってイラっときたり、ふと何かのタイミングで嫌なことを思い出して悲しくなることはあるかもしれない。
でも、感情は同時ではないんです。
流れるように移り変わるものなんです。
拒食症になって、怒りや悲しみや罪悪感の渦の中で揺れ動く心に「快」を流していく。
心が「快」になれるものを増やしていく。
私が思う「快」になれるものと
娘が思う「快」になれるものは違う。
親子でも違うんです。
だから、聞くんです。
そして、もし、教えてくれたらね、
大切なことを教えてくれたんです。
とっても素敵だね。
教えてくれて、ありがとうね
実際にそれが応援できることなのか
難しいものなのかはさておき
その気持ちを受け止め寄り添うんです。
娘の場合は
世にある数100品種のバラの研究と
翌年の春に完成する新居の庭に植えるバラの選定と
バラの絵を描くことでした。
それを時間の許すかぎり
一緒に楽しみました。